闇は暁を求めて−評伝ファン・ゴッホ

第0話 イントロダクション

1990年は、日本でもファンの多い画家フィンセント・ファン・ゴッホの没後100年であった。「詩と批評」をうたう雑誌『ユリイカ』1990年12月号は、特集で「ゴッホ−渦巻く絵画」を取り上げた。その雑誌を刊行時に入手したOssianことわたしは、ゴッホ没後130年にあたる2020年のコロナ禍騒動の東京で、まさに読み返しているところだ。

雑誌への寄稿者の中である女性の名前が目に入った。

その女性美術史家は「ゴッホの生涯」という小文を寄せているが、その冒頭にこうある。
以下に引用してみよう。

ゴッホが、パリ近郊の村、オーヴェール=シュール=オワーズで37歳の生涯を閉じてから今年で100年を数える。この100年間に実に多くの伝記が書かれてきた。ゴッホは伝記や伝記的研究の極めて多い画家である。

その数多い伝記の中で、「彼(ゴッホのこと: Ossian注)を終生苦しめた激しい心理的な葛藤や鬱病がどのようにして、あの見事な作品群に昇華されたのかという創造的側面に焦点」を絞った伝記として、アメリカ人精神分析家アルバートJ・ルービンの『ゴッホ この世の旅人』がある。人から伝え聞くところによると、前述の女性も若き日にルービンのこの伝記を原書で読まれていたという。

2005年に刊行された『この世の旅人』を、いま、手にとって眺め返しているのだが、文庫版の同書の裏表紙に、ゴッホの短い生涯を次のように要約していることに気づいた。

「闇から光へ、人生は天国へ到る巡礼の旅」

25歳の伝道師ゴッホは、教会で人々にこう説教した。心の内部に巣喰う深い悲しみと強い孤独感。ゴッホは、自己との激しい闘いを個性的な絵へと昇華させていった。暗鬱で寂寥感迫る作品。燃え上がるような情熱的な画風。(以下略)

わたしことOssianが新たに書き起こすゴッホの評伝は、その自己との激しい闘いが個性的な絵へと昇華されていく過程を、ゴッホが弟テオに宛てた手紙を検証することを通して、明らかにしていくことを目的にしている。

ゴッホが最も生産的であり、創造的であったのは彼がこころの病に苛まれた晩年の2年間であったことはよく知られている事実である。精神のどん底にあって、彼は創作の扉を次々と開いていった。わたしの評伝は自身の逆境をも追い風に変えていった、この画家の精神の軌跡を浮き彫りにするはずである。

再び雑誌『ユリイカ』のゴッホ特集号からゴッホ小伝のテクストを引用したい。

画家になる前には伝道活動など人々を慰める仕事をすること、それに自分を捧げることが生きることであったゴッホ。しかし、画家になった彼は、自分の人生を代償として絵画を残していったのである。

上でも述べたように、わたしの連載ブログでは、1888年の南仏アルルへの移住から、その2年後にパリ郊外のオーヴェール=シュル=オワーズで自殺をして果てるまでの2年間のゴッホを追いかけてみる。「人生の代償」としての作品、今日最も評価が高いとされる作品を生み出した日々である。

その間に「幕間劇」として、舞台は21世紀のニューヨークに飛び、2001年9月11日の同時多発テロ下で世界貿易センタービルの倒壊の場面に転ずる。世界で最も影響力のある現代画家ゲルハルト・リヒター(ドイツ)がその4年後に事件の鎮魂の意義を込めて作品『セプテンバー』を制作する過程を粗描する。

次回からは、2009年に最新版(Web版)が公開された、ゴッホの書簡を読み解くことで、南仏アルルに移住したフィンセントの心象風景を探っていくことにする。どうか、ご期待ください。

このブログの画像と引用しているのは、Wikipediaのパブリックドメインからのクリエイティブコモンズのリソースとしてです。

自画像、1887年春(シカゴ美術館蔵)

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